朝目覚め越しにこんなメッセージが来ました。
『あなたの言葉の使い分けはあなただけのものであり、万人受けはしない。だが、この言葉の使い分けこそあなたには必要』
神様何をいってるんですか〜?
何がいいたいんですか〜?
と考えた時に出てきた時のが、
『ひらがな』『カタカナ』『漢字』という文字。
そんな出来事からのお話。
普段使っている『言葉』
皆様、必要に応じて『ひらがな』『カタカナ』『漢字』と3つの言葉を使い分けます。
何故『3種類』の言葉を使い分けるか、「必要に応じて」しか琴は専門家では無いので分かりません。
ですが、時折必要な時に降りてくる『天からの声』も、『ひらがな』『カタカナ』『漢字』と使い分けてきます。
例えば…
『こころ』という言葉。
ひらがなも『平仮名』と漢字で書くよりも「優しい」感じがするように、『こころ』も「心」と漢字よりも、より身近に感じます。
このように、天からのメッセージでは言葉の種類の使い方で、『魂への響き方』が違い、伝える人にとってより響きやすい言葉で降りてきます。
ひらがなの『こころ』の場合。
寂しさや自分を表現出来ない、素直になりたいのになれない・芯の自分に対しての思いや情緒等、優しさに触れたい時や心に染み込ませる言葉で表現したい時には、『ひらがな』で降りてきます。
もっと自分らしく素直でいい。という時には『ひらがな』
カタカナの『ココロ』の場合。
少し自分とはかけ離れた感じ感触でありながら、ちゃんと「自分」と繋がっている自分の中にある「コトバ」であり、関係性が強く自覚してほしい時は、『カタカナ』で降りてきます。
別のような感覚がありながら、実は「ひとつ」ということを思い出して欲しい時には『カタカナ』
そして、漢字の『心』の場合。
一心同体。自らの『意思』としてちゃんと芽生え、自覚を持って『生きる』『生き様』『生きがい』のように、「魂との約束」として捉える時には、『漢字』で降りてきます。
あなたの気持ちと魂とは繋がり、約束されています!という時には『漢字』
単なる『とらえかた』なのかも知れません。
ですが、日本で生まれてこの地に住み、周りとコミュニケーションを取って生かされているなら、それは『言葉』でのコミュニケーションが大きな位置を示します。
なら、目の前にある日本特有の『3種類の言葉』の使い分け、使い方での表現で、もっと自分の中の言葉の理解の幅は広がるのでは?
と思いました。
琴が、心からの言葉で『こころ』と伝えても、漢字しか思い浮かばない人は『心』と捉えることで、その人の気持ちの『心』には、琴の『こころ』の意味が届かないかも知れません。
ですが、文字にしてひらがなの『こころ』と伝えることで、優しい感じや思いやりを感じてくれた人がいたなら、それは漢字の『心』ではなくひらがなの持つ柔らかい『こころ』で、感情に触れたのだと思います。
このことから、天からの言葉だけでなく、人との声のコミュニケーションや文字のコミュニケーションのブログでの『言葉』も大切だと切に思います。
外国の方には分かりにくい『わびさび』
その風習や環境は人によって違いますが、日本古来からの感覚の懐かしさには、その時代の古き良き時代を「わびさび」から感じ取ることができます。
そんな感覚が、日本という土地に生まれ、そこには意味深い日本人特有の『優しさ』や『思いやり』が「心からの言葉」で「わびさび」の感性と一体になることで、より伝わる。
そんな気がします。
これを今持つべき感性で、その言葉で伝えるのが、琴の『魂からの言葉』だと思いました。
何年何百年。時には何千年と旅をしてきた『魂』に根付いている経験を元に生かされている今。
自己満でも、自分なりの良い言葉で相手の言葉をとらえることや、自分でわかり良い種類を選んで、心に響かせる言葉があっても良いと思います。
そこには、『その言葉の意味を変えない』という法則がありますが、ちょっとだけ視点をズラし、『漢字』を『ひらがな』に変えることで見えてくる世界から、自分の考え方の見直しができ、理解が深まります。
この感覚は琴だけのものであり、人それぞれだと思いますが、とても良いお話を聞いても分からない時や何度も同じフレーズが出てきた時、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」と実際文字に起こした時に『わかる』何かがあるかもしれません。
実際耳に入ってきた言葉で『?』に思った時、その時こそ『自分にとって必要な言葉』が『今の魂にとって必要な言葉』と言われています。
今日も、今日『必要な言葉』があります。
それが、『これから』も必要になり大切な言葉になるかも知れません。
それを見逃さず聞き逃さず、『琴にとっての魂が必要とする言葉』が目の前に現れるのを楽しみに過ごそうと思います^^*