その一文に「落ち髪」という言葉があり、この落ち髪とは、抜け毛のこと。
そう聞くと汚いイメージがありますが、落ち髪と聞くと落ち葉のようにその場をただ離れただけという哀愁漂うようなイメージになり、髪の毛一本が抜けただけでも汚いや無駄なイメージではなく、転生するような感覚をとても大切にしていた時代背景が伺われます。
この他に、白髪のことを「雪」や「霜」という表現をして歳を重ねる事に味を出す人間味や品格を、心に残る言葉で表現してきた時代があったそうです。
今の時代は思ったことを口にして相手を蔑んだり、嫌な思いをされたからと直球で傷つく言葉を投げつけたり言葉の暴力が耐えません。
誠心誠意込めて働いている人を卑下した、SNSで拡散したりとその場の感情や思いつきで行動している人が目につくようになりました。
相手の行動を見て不快感を覚えた時、その感覚は、自分の魂が経験した事の無いことという証です。
自分の知らないことを違和感として捉え、良くないことに置き換えることが良いことなのでしょうか?
相手を思いやり、また風情を楽しんでいた時代はもうないのでしょうか。
思うことをストレートに言う発言の自由の意味の勘違いが目立つからこそ、人を傷つけない比喩された言葉が温かさを感じさせてくれるかもしれませんね^^*