今回は『森の神様』のお話🌿
いつも大きな施術や土地にまつわるお仕事の時、必ず行く場所があります。
そこには『森の神様』がいると言われる木があるところで、今までも神様の元で色々な経験をさせていただきました。
木から学ぶ修行🌿
「本当の暗闇と恐怖を知りなさい」と、夜中の2時に森に行き、電気も何も無い森の静寂と真っ暗体験の洗礼を受けたこともありました😅
その時の経験は、霊達がいる静寂と暗闇の世界の体験となっています。
木々のざわめきから感じることは全て「生」で出来ていること、施術に関わる精神面や人間の内面の流れや動きは自然の中に答えがあることなど、今のお仕事にとても大切で、また生きるために大切なことを教わっています。
そんな『森の神様』から琴が聞いたお話✨
一粒の種が何年も月日を重ね森は作られていく。
そこに集まる虫や動物は、森が生きている証。
森には「生」が集まる。
それは森が生きているから。
死の森にはただの無しかない。
そこに「生」は無く、生きるための命果てる時。
森は賑やかだ。
木々のざわめき、虫が動き、葉や幹を鳴らす。
鳥が飛び交い美しい音色を奏で、仲間を呼ぶ。
動物達が動き回り、それぞれの動きを警戒しながらも自分達が生きるための諸行を象る。
そこには善も悪もなく、ただ命を繋げるためのものしかない。
木々は、これらの命を繋ぎ止め、また終わりを迎えるものを見守る。
そこには大いなる大地があり、愛はそこから生まれる。
その愛を育み恩恵を運ぶために風が吹き、潤いを与える雨が降り、全てを温かく包み込む光がある。
そして、全ての機能を止め、英気を養う夜がある。
暗闇から学び生きることを好むものは、またこの時に生きる。
昼夜問わず森は賑やかだ。
耳をすませば聴こえてくる命の音がある。
ただ、今の人間にはわからぬだろう。
森の木々達が命を繋げるように、人間も命を繋げる場所がある。
そこに木々のざわめきや動物の声、虫達の足音は届かず、聞こうとする者もいないゆえ、わかるはずもない。
人間達の喧騒が森に届かぬのと同じこと。
しかし、生きる場が違うというだけで命が育つのは同じ。
愛を育み、全てを共存する。
違うのはそこに言葉があるかどうかの違い。
目の前のことだけに目を向けるな。
目の前にあるものがいつもあると思うな。
全ては自然の摂理からなるもの。
命とは自然にある全ての生きとし生けるものの宝。
命あればどんな苦悩困難は付きもの。
森を破壊し自然が無くなることもまた道理。
たが、命は尽きない。
形が無くなれば魂となる。
森の命は無下に破壊された時に無くなる。
だが、その命繋ぐために宿るものもある。
どちらも結局は命繋がれる。
そこにあるものをなんのためらいも憂いもなく、ただ受け止め流れに任せる。
これが自然であり森の姿。
木々は思う。
この無造作に生え生きるものこそ自分の姿。
さすれば人間も自然にありのままに生きること。
これこそが真の自分の姿ではないかと。
そのもの達の思いの象徴となるべく、我はここに神として崇められ命繋ぐものとして佇む。
そして逆らうことなく自然に生きる。
ということです✨
いつか無くなるかも知れない自然が、生きている限り目の前にありますように✨