過去の失敗をずっと悔やみ、心に残っている人がいます。
逆に、覚えているけど、それが今の頑張りになっている人もいます。
心に残っている人は、きっと誠実で真面目な人なのでしょう。
また、心に残っていない人は努力家でしっかり反省できる人。
どちらも善し悪しなしで、その人の特性だと思います。
もし、失敗を悔やみ悩む過去があったとしても、それは『二度と失敗しない』と心に誓い、自分への戒めとしている人。
今の頑張りになっている人は、『失敗が自分の基盤』と自己をリセット出来た人。
どちらも『リセット』
良く、『物は言いよう』と言いますが、その人が納得出来るなら、それがどんな理由であろうと、その人の決めた『スタート』がそこにあります。
もし、過去の失敗を思い悩み、『失敗した自分を認めていない』自分がいたら、『認めていない』ことにフォーカスを当てるのではなく、認めていないことを『自負』もしくは、『知っている』ということ。
知らずに人を傷つけ、自分だけのうのうと幸せになるより、『失敗』をしたことを自覚したらいいだけ。
全ては失敗から始まっています。
そして、その失敗があるから、今の自分がいます。
世の中も一緒。
今の生活は、魂がとても重要な位置にあります。
『今のカラダにとても近い時の魂が学んで来たこと』が、今の生活に活かされています。
もし、今とても忙しくて充実しているなら、それは以前の魂がとても生き生きとした経験をしていた。
もし、今とても忙しくしていながらも、自分の時間も取ることができ、趣味や好きなことを十分に出来ているなら、それは以前の魂が望んでいたことを実行している。
どちらも以前の魂が、それだけ、以前のその前の『魂の経験』に基づいて、その時の新しいカラダで、経験に伴った生活に潤いを加味して「生きている」ということになります。
では、今までは順調だったのに、今は吐きそうなほどやることがありすぎてアップアップしてるなら…。
それは、以前の魂が、本来その時に経験しないといけなかったことを、今実現しているということ。
それだけ「やる」と決めたことがたくさんあったということ。
「やる」と決めたことが達成されないままその世を去ると、必ず、その時のカラダに一番近いカラダを持った時には、やり残したことを達成するように生かされます。
ですが、その時なら、「やる」と決めて行動に起こすわけですから、なんの迷いもなく「やると決めたことだから」と納得して行動出来ますが、その決めたことを忘れた状態での忙しさは、「やらされている」という感覚しかなく、非常に困難で苦痛を伴います。
これが、「以前の魂が経験していないこと」として、今行動している。
『魂の新しい学びであり経験』
辛く苦しい時こそ、今の魂に必要な経験と学びです。
「どうしてこんなに辛い💦」
「どうしてこんなに苦しい😱」
と、音を上げる形になっているなら、それは「前の魂が経験していないことをやっている。これが魂の学びなら、やらなきゃ💦」という意識を持つことで、全ての迷いや苦痛を乗り越えられます。
そこで、「なんで?」「どうして?」という疑問を持つ必要はないのです。
もし、疑問を持ち続け、いつまでも解消出来なく不満だらけの自分がいるなら、それはもう魂だけの問題ではなく、『今のカラダ、肉体を痛めつけ、精神までも病んでいる』ということになります。
辛い苦しいは、魂の学び経験であり、それと同時に『気づき』でもあります。
なので、辛く苦しい時は、『今何かを気づかなければならない』時であり、「以前の魂の学び経験を思い出す」チャンスなんです。
チャンスは与えられているのであれば、やらないと『損』!!!
辛い苦しいを、不満を持ちながらも「当たり前」として「諦めている」なら、それは魂が本来求める道を外れています。
その軌道に戻るのは、自分ではなかなか修正は難しい。
それを解消することを私たちK+Aswell(ケープラスアスウェル)はやっていますが、まずは、自分の今の現状を振り返り、『自分の魂は何を望んでるのかな?』なんて考えて見ることで、目の前の解決できないことの糸口が見えたりします。
「魂の振り返り」
今日は少し怖いお話。
「呪い」と書くと、みんながどう読むかと言うと、まずは「のろい」と読むでしょう。
ですが、「呪い」には、『まじない』と『のろい』の両方が出てきます。
「まじない」と言うと良い意味で捉えられる。
「のろい」と言うと怖いイメージ。
どちらで使うかというと、本来は「のろい」の方が印象深い。
琴の世界では、一般的な「のろい」よりも、「まじない」的な使い方が主流。
古来からの「まじない」は、病気を治したりケガをしないようにという「願掛け」として扱ってきた。
それが「のろい」となったのにも、その「願掛け」が叶わなかったり、思ったよりも打撃が大きかったりと、思いもよらないことが起きたことが始まりです。
「思ったようなことが起こらなかった」
「そんなことを思ってなかった」
「思ってもみなかった」
「思ってた言葉が返ってこなかった」
これらが起きた時、人はどうするのでしょう。
『思う』ということ。
これは、「願い」であり、望みを叶えたい願望。
それが叶わなかった時、人は「何かのせいにしたり」時にはその事情に絡んでいた人を「恨んだり」します。
琴の世界では、「のろう」より「うらむ」の方が怖いです。
そちらの念の方が強いからです。
恨むとは、
《うら‐む
【恨む・怨む・憾む】
《五他》
1.[恨・怨]
相手の仕打ちに対する不快・不満の気持を、その人に対していつまでも持ち続ける。》
と記されています。
何が怖いって、
【いつまでも持ち続ける気持ち】
その人にとって良くない感情を持たせたこと等こちらは忘れているのに、それを持ち続けている人がいる。
知らないところで人を傷つけ、悪く思われていることなんて普通は考えないですよね。
このような強い思いを持つことで、「魂のパイプ」から外れて行きます。
本来通るべきパイプを外れると何が起きるか。
・自分がどこにいるのか分からなくなる。
・魂が本来のパイプに戻れなくなる。
ここから負のループが始まります。
・何をしても上手くいかない
・体調が悪い 等
カラダの不調から精神的な不調に。
最悪は、何もする気が失せ、寝たきりに。
「呪う」も「恨む」も良い言葉では無いのであえて使う必要もないですが、「まじない」という意味では、「呪う(のろう)」と言いながら、その人がその言葉を使わないように…という願いを込めて使うことは良いのかもしれません。
聞く人によっては、「恨み」を買うこともあるので注意ですが😅
このような、実は良くない言葉に聞こえることも、その人にとっては「気づき」に繋がることもあります。