前回は『雄龍』からのお話でした✨
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お寺の珍しいお話と不思議なお話はまだまだ続きます。
屋根の大改修の際、屋上の擬宝珠から一万巻の般若心経が発見されます。
この写経は、肉筆で一枚一枚ていねいに書かれたもので、500巻ずつ箱に収められ、虫除けに煙草の葉を入れ、油紙で包まれて奉納されていたということです。
そして、そのお堂の天井には一枚だけ板が外されています。
『龍神様の出入り口』ということですが、塞いでも必ずその板だけ外れているそうで、今では龍神様がいつでもお通り出来るよう、開けているそうです。
出入りしている龍神様かどうかは定かではありませんが、床を張り替えた時、床板にシミのような跡ができ、そこには龍の顔が突如現れ、今では『撫で龍』として参拝者がいつでも龍神様を触れるようにと身近な存在になっています。
なぜ床に龍?という質問にご住職曰く、
「上ばかりではなく足下を見なさいということでしょうか^_^」とのお答えだとか(^^)
そんな不思議なお話があるお寺の龍神様。
今回は、『雌龍』から琴が聞いたお話✨
ひとつが二つに分かれることで二つのことが同時に出来る様に、役割というものを皆与えられています。
男の子(おのこ)は男子(をとこ)となるために才(さい)を持ち、女の子(めのこ)は女子(をんな)となるために知(ち)を学びます。
知識あるもの国を統治し、知性あるものがそれを守る。
かの昔より良識として持つべき尊敬と感謝。
この両方があり『人』としての人格が形成されます。
頭が良いのは尊敬に値すること。
でもそれを悪しきものとして扱うのは人として無礼。
何事も隔てることなく感謝を持つのは素晴らしいこと。
でもそれを悪しき心で持つことは醜いこと。
役割とは「良」も「悪」もあり成り立つ。
全ての人が良いと思えることをやるのは不可能。
悪も同じこと。
それぞれが役割あってこそ意味を成す。
それは自らが決めることではなく、認められることで統一する。
己の役割を忘れることなく、才も知も程よく持つことで、良識を極める。
それは己を信じることに繋がります。
とのことです✨
難しい…😅