「お伊勢参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り」
と言われた『金剛證寺』は、伊勢神宮の鬼門をお守りしているお寺です。
神宮の奥之院ともいわれ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常でした。
御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、日本三大虚空菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様です。
金剛證寺は、御本尊様と天照大神をお祀りし神仏習合の思想を表しています。
そんな虚空蔵菩薩様から琴が聞いたお話✨
世が世なら人も人。
神も仏も願う先は一緒。
ならば恩恵預かる場として皆同じ願いを望むはずが、あっちではこれ、こっちではあれとなぜ分けるのか。
ここは身を清め心改める場所。
なのに願いばかり先走り、目的目標が見えん。
そこに『間』が現れ、その『間』にやましさ・疎ましさが見え隠れし、己の欲となることを知らぬもの達が増えた。
その者がどんな願いを持っても、その望みは叶わぬということを誰もが知ろうともせぬ。
ここは約束の場。
自分が自ら望み、ただ一筋の希望を打ち明け自ら自信に導く場でもある。
我が寺に向かう前と着いた後では思いは変わる。
人の目的目標も同じこと。
辛さ苦しい道のりをただ歩むのではなく、自分と向き合い内面が表に現れた時、自らの心の内と向き合う。
なぜだどうしてだと自問自答を繰り返した時、下を向いていた頭は上を向く。
人は顔を表に上げた時見える景色に圧倒され我を忘れる。
その時に全ての思いが小さく女々しいものだと気づく。
そして改めて気づく。
何をするために目標を持ち目的としたのか。
そして心改め、また一歩を踏み出す。
我が寺に着いた時、皆同じことを思う。
「ようやく辿り着いた」と。
目的目標はそうして成就されるもの。
結果を急ぐ者。
満身創痍にがむしゃらになるべし。
目的目標持たずとも良し。
それがその者の性であり性分。
失敗から自ずと結果を出すことを知っている者。
結果をこだわる者。
欲を隠しエゴで押し切ること必須。
我が身の保身のみに心を費やし、心疲れて自滅の道を辿る。
自らの内面を無視し破滅を味わう。
結果に恐怖する者。
山の頂だけを眺め足を止めるのみ。
何も進まず何も変わらぬ。
自らが何者かを知らずに終わるのみ。
死して尚分かる己の魂。
ならば生ある時に自分がどの末路を辿るか、行かねばならぬ道が開ける。
そこには己の心情掻き立てる目標持つことで目的を全うできることを知る。
好きなことだけやる者。
満身創痍にがむしゃらになれる。
目標目的しか目の前にはない。
それがその者の性であり性分。
失敗しても自ずと結果が結びつくことを知っている者。
好きなことにこだわる者。
欲とエゴで押し切ること必須。
我が身の快楽のみに体を費やし、体疲れて心の自滅の道を辿る。
自らの内面しか見ず破滅を知る。
好きなことに恐怖する者。
山の頂だけを眺め足を止めるのみ。
何も進まず何も変わらぬ。
自ら何もできずに終わるのみ。
生きて尚分かる己の魂。
ならば死する時に自分がどの活路を見出せたか、やらねばならぬ道を切り開く。
そこには己の意欲を掻き立てる目標持つことで目的を全うできることを知る。
ということです✨
難しい…😅