『死神』と聞いたら、「死を招く」「魂を抜かれる」など、あまり良いイメージはありません。
ですが、『死神』も神様なんですよ😊
『神』と付きますからね🤣
単純に「神」と付くから神様認定してますが、魂についてはエキスパート的存在です。
琴の「土地浄化施術」に来てくれる神様の「死神」にはちゃんとしたお仕事があります。
それは、人の命を狙っているとか取っていくというものではありません。
人は「想念」というものを持っています。
そしてその想念は、時には恨みつらみとなることもあり、知らないうちに土地に根付き、地縛霊となることもあります。
ごく最近の念は浄化で無くなることもありますが、古くからの念はなかなか気づきにくく、ほんのカケラの念が何かのかたちやキッカケで大きな念になり、その土地に根付く念に引き寄せられた霊が居付き、地縛霊になることもあります。
そのような、天に上がれなかった霊や念、未練から上がることを拒否した魂や地縛霊となった魂などを土地から離し、連れていってくれるのが死神です。
そんな死神から琴が聞いたお話✨
魂の存在を知らないものたちが肉体を離れ霊になった時、初めて自分の本来の姿を知る。
その魂は、素直に天に上がるものもあれば、またしがみつくものもある。
人間だった時の思いや感情を、慣れ親しんだ地に置いていくもの。
強欲が祟り、人間が住む世界から離れることを拒否し、生きている時と同じ思いで守って来たものを死して尚守ろうとするもの。
離れがたい思いから、人にすがり取り憑くもの。
これだけに限らず。
これら皆の生きている時の想念が土地に根付き、その地に住む者、関わる者全ての人間に影響する。
神はそれらを浄化に導き昇華、または改心させるのが役割。
ただ、我は違う。
さまよう魂を救うのではなく、エゴ欲で我が姿が醜く救い難いものになった姿から、改心した魂を天に導く。
または、悪行から改心を恐れている霊や魂を改心の場に連れて行く。
これは、魂にとっては良いことであるが、霊にとっては脅威でしかない。
その脅威がもたらす恐れは、人間界では「死」と同じである。
このようなイメージから死神として、恐れられているのであれば、それも良かろう。
恐怖は自らの命を守る。
天寿全うしてこその命。
その命、我に刈り取られたくなくば、どんな苦労苦しみも乗り越えるだろう。
生きる心意気が見えた時、我はそこに住む者の魂に手を貸す。
赤子がまっさらな姿で産まれるよう、そこで生きる者の思いが悪露(おろ)無しの生粋のものであれば、土地もそのように整えることが道理。
死と全うに向き合う者の生き様や想念に淀みが無ければ、死は恐れではなくなる。
それは既に生きる覚悟がある証。
魂に歪みや迷いが無い証。
今回その証をしかと見届けた。
しかし、覚悟が揺らぎ、死を恐れるあまりに欲深くエゴの思いで道理を崩すことがあれば容赦はせぬ。
思いのタガが外れ人としての道を外した時、今日受け取った全ての念と悔恨にまみれた悪しき霊魂共を再びこの地に戻す。
その時、この地に住まう者の命、貰い受けに来よう。
これがお主らの知っている死神の姿。
覚えておいてもらおう。
とのことです😱
色々難しいけど、とりあえず生きます😅