出雲大社の祭神。
『大国主命(おおくにぬしのみこと)』は、スサノウノミコトの子、または6世な孫とされ、少彦名神(すくなびこなのかみ)と共に、中つ国の経営を行ったが、天照大神の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退したと言われています。
大国主命のお話で有名なのは、因幡の白兎のお話は誰もが一度は聞いたことがあると思います。
大国主命は大黒様と同一視され、医療・まじないの法を定めた神とされます。
そんな『大国主命』から琴が聞いたお話✨
神がこの地に降りた時、人々は生きるために懸命に働いていた。
子供を守るため
家を守るため
土地を守るため
家族を守るために生きる
そんな暮らしがあちこちに見えた。
だが、今は自分の欲を果たすために生きている者たちが増えた。
一生懸命という言葉が退化するように、自らの一生懸命はあれど、守るための懸命さが希薄だ。
人は思いやりを持つ唯一の存在だと知っておろうか。
命あるもの全てに思いやりというものを神は与えた。
人や動物に相手を思う気持ちを持つことで優しさは生まれる。
そこには尊い愛があり、支え合う思いが存在した。
守るということは、とても尊いもの。
愛無しでは語れない。
今の世の中、希薄な愛で蔓延しこの世を生きている者たちに同情する。
自らの欲を果たすために神に出会い、縁を懇願する者たちに何の幸が訪れようか。
中には真剣に願い、自らの運命をも呪いながら祈願しに来る者もいる。
その者たちの思いを少しでも汲み、歩み寄る者たちが年々減っている今、誰が思いやりを持つことの素晴らしさを伝えるのか。
神は言葉を持たぬ。
病に伏せ言葉を待つものがいること。
心が病み、救いの言葉を待つ者。
表面には出ぬ「待っている思い」を誰もが持っている。
その1人に神は存在する。
信じるものがいてこその神。
信じないものがいてもそれは良い。
心の中にある神は『自分そのもの』ということに気づくことで、希薄な愛も思いやりのある愛になるということが皆が持っている愛だと知っていただきたい。
守るとは思いやりと愛の両方があってこそ。
自らの思いに愛があること。
知り気づく世になるよう見守ろう。
とのことです✨
ただ優しくすることだけが良いのではなく、そこに心からの思いやりがあってこその愛ですね{emoji:082_char3.png.ラブラブ}
本当の守ることの大切さは、ただ思うだけではなさそうです。