素箋鳴尊(スサノウノミコト)は、皆さんも聞いたことがあると思います。
日本神話の代表的神格で、出雲神話の祖神とされます。
伊奘諾(いざなき)伊奘冉(いざなみ)の二神の間に生まれたとされ、天照大神の弟と言われています。
その凶暴さにより、地上また高天原を追放され、根の国の主神となります。
その途次、出雲國にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、稲田姫と結婚し宮を営みました。
暴風神・農業神・英雄神など多面的な神とされます。
そんな『素箋鳴尊』に琴が聞いたお話✨
皆、自らの神というものを持つ。
我が自らを神と思っていないのと同じように、我にも神はいる。
誰も自らを神とは思うておるものはいないだろう。
それは我も同じである。
神から生まれた者は神として扱われる違和感に悩まされ、我は我を認めて欲しく自暴自棄になっていた時もある。
皆、それで良いではないか。
我を忘れ自らを主張することもあってもそれは罪ではない。
だが、あることがきっかけで自らの本心にくすぶる玉(魂)が弾けた時、我は自らが神としての存在と気づく。
それは我が魂は自らのものではなく、他(た)のものでありそしてその他から学ぶべきものと気づく。
人のためにではない。
ましてや自らのものでもない。
それは我が身全てを作る魂からのものであり、我が身が神の一部から生まれた証ということが理解できた時、全てを知った。
どんなに長い時を費やすことがあっても良い。
またはとてつもなく短い時で知ることもあるだろう。
どんなタイミングでも、気づきは誰にでもある。
そしてその気づきに気づいた時。
自らの内なら神に気づく。
それが神と繋がる時であり、神が身近に感じる時であること、我が身で感じることが出来る。
ということです✨
自分の中にある神。
それは自分自身が神なる存在だということの意味を心から知る気持ちが、自分を楽にさせるということをみんなに知ってほしいです✨