たくさんの手を持ち、またその手のひとつひとつに意味がある千手観音。
観音菩薩が一切の衆生を救うために千の手と千の目とを具(そな)えることを願い得た姿と言われています。
千手観音は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。
シヴァ神などの神々の異名を持つ者であり、観音菩薩の変化神と考えられ、六観音の一尊でもあら千手観音。
千手観音から琴が聞いたお話✨
人はひとつひとつのものを大切に受け取るために両手がある。
人が受け止められるのは「ひとつ」のもの。
右手左手、両方がありふたつのものを手にすることが出来るが、片方にはひとつしか受け取れない。
これは、多くのものをいっぺんに受け取っても理解できるのはたったひとつということ。
ひとつを大切に出来ないものは、多くを理解することは出来ないということ。
欲は多くのものを手に入れようとすると、エゴに変わる。
だが、ひとつのことに執着することで、それは意欲に変わり自分を整えていく。
例えば「食欲」をあげよう。
食べるだけ食べ、食欲を満たすことは誰しも出来る。
だが、食欲を満たすためにバランスの良い食事を求めることで身体に良い効果をもたらす。
生きるための活力が手に入る。
このことで心も身体も満たされ、過不足ないエネルギーを存分に蓄えバランス良くエネルギー使うことになり、爽快感を得る。
逆に欲を満たすために得た食事は、身体に違和感をもたらす。
食べ過ぎて苦しいという経験を得る。
そうすることで、取り過ぎたエネルギーは身体を動かすことより休めることに意識が捉われ、動きを制限し、エネルギー自体を身体の内に収め意識の中に取り込まれる。
要は身体の機能そのものが、動作を取ることを諦め、動きそのものを拒否する。
人が与えられるエネルギーには限界があり、その限界を越えることで、過不足のない状態まで調整出来るまでの準備をする。
本能で身体の動きを止め休む選択をする。
その欲のひとつが煩悩となり、求めすぎるとエゴとなる。
生きるとは自分を作ること。
人の人生は自らが作り上げたもの。
生きるために必要なもの。
生きるために不必要なもの。
それらは活力に見合った持ち方をすることで、活力に変えられるが、不必要なものがあるからこそ自らの意識で正解を知る。
それらを煩悩と知ることで、手放すための千の手と千の目があることに気づき、一切を見逃すことなく手にするべきものを決める。
我はその指針。
選ぶことは難しい。
だが選ぶことが大切だと気づくことで、誰しも千の手と目を持つことができ、また元来持っていることを知る。
そうして皆生きている。
幾多の人々の心の中にある煩悩の精査を我がひとつの象徴とした姿で表し、気づきのひとつとして心のひとつとなるものとして住まっている。
また、人は一生のうちに【幾千】の物事を得るという証の姿が笑である。
ということでした✨
決めること
気づくこと
大切なのはわかるけど、意識がそこに向かうことが無ければわからないですね。
決めることも気づくことも全て自分で行うこと。
そこには欲やエゴがあり、意識の向上のために千手観音がいつも心の中にいるというお話。
意識って大事。
決める 気づくで生きているうちに手に入れる【幾千】を知れるよう心掛けようと思います✨