『イザナミノミコト』は、命と引き換えに神を生んだ女神として有名です✨
イザナミは愛に生きた神と言われています。
初めての契りの際、自ら素直な思いを告白してしたことから産まれた子がヒルのような姿だったため海に流した。
これが流産を意味するのかもしれません。
その後イザナキからの告白で二人は深く愛し合い多くの子を産みました。
しかし、炎の子を産んだ傷が元でイザナミは黄泉の国へ逝ってしまいます。
黄泉の国で生の終わりを迎えようとしていた時、夫であるイザナキが迎えにきます。
黄泉の国のものを食べていたイザナミは、姿形が以前とはまるで違い、目を背けるほどのものになっていました。
その姿を見たイザナキは、イザナミに別れを言い渡します。
その時の互いの言い分から「生」と「死」が生まれました。
繋がりと愛が深ければ深いほど察してほしい思いから愛憎が生まれ、感情が大きくなり意見の食い違いが生まれる。
そんな物語がある『イザナミノミコト』から琴が聞いたお話✨
最初を決めるのは自分。
最初を決めてしまうのも自分。
信じていたものに裏切られる。
身を切る思いとは自ら死を迎えるよりも辛く苦しい。
愛の裏には憎しみ
思いやりの裏には悲しみ
信頼の裏には裏切り
無いと思うものが目の前に現れた時。
自分はどうしていいか分からず迷い戸惑う。
千の命を授かり世に下ろし
皆幸せであれと思っていた頃
私は幸せでした。
ひとつひとつの命を生み出し
世に光もたらし笑顔で満たされた時
私達も笑顔でした。
ですが、思いの丈が頂点を迎え
信じていたものが目の前から消えた時
全てを失いました。
思い通りにならない世の中を作り見据えるために神はいるのではありません。
自らの心の中に頑なに我を通す欲とエゴを手放すために、神は心に光を灯し、その光で心は温もりと穏やかさを知ります。
上手くいけばと思う願い
出来たら良い方向へと思う祈り
神仏問わず命あるものが皆持つもの。
幸いなことに私から生まれた子たちは皆、
愛あるものとしてそれぞれが大切なものを持ち
存在します。
それらは人としての思い、また神としての威光で
救いを求められる存在としています。
光あれば陰あり。
それも我が身がひとつの思いとして持っていたもの。
成功あれば失敗もある。
そこにどういう思いを心に備えるか。
命とはそのような存在。
命繋ぐもの、育むもの、希望持つもの
全てが様々な選択を持つ。
たくさんの理由をつけても心はひとつ。
自らを信じ、素直に心に響くことを抱き慈しむ
安らかで穏やかな思いで皆過ごせますように。
終わりとは儚い想いの果てから自ら決める事ではなく、心休まる無を迎えた時です。
とのことです✨