『イザナキ』と『イザナミ』は、男女の性別を持った最初に夫婦になった神様。
『イザナ』は「誘う(いざなう)」の語源であり、誘い合う男と女を意味する言葉が生まれ、ここから『愛』が誕生しました。
それまでの神は永遠でしたが、この二人により『愛』が生まれ、その代償に『死』を受け入れました。
その後イザナミが火の神を生み黄泉の国に行った際、イザナキはイザナミを諦めきれず追いかけます。
そこで見た妻の酷い姿に耐えきれず、自ら縁を切ったのです。
この時のイザナキは、イザナミの気持ちを察する余裕など無く、自分を正当化することに精一杯でした。
そして二人の愛は崩れ、深く結ばれた愛こそ崩れたときには呆気なく終焉を迎えます。
愛が深ければ疑いも深くなり、つまらない問題を起こすものだというお話✨
そんな物語がある『イザナギノミコト』から琴が聞いたお話✨
愛と通じているとき、分かり合えているときは固く結ばれ安堵しかない。
しかし、強く結ばれていればいるほど信じられない光景を目の前にする事で、自分が信じていたもの全てが一瞬で消える。
心の弱さである。
相手に頼りきり全てはいつでも変わらず目の前にあるという過信。
愛を育むために死を受け入れた。
互いに同じ想いだったにも関わらず自らの想いを信じ貫けなかった。
これが『裏切り』である。
愛と死。
人が持つものであり、究極のもの。
また自分を信じるというひとつの糧である。
相手を信じるということは自分を信じていなければできない事。
信じたものを覆すことは、自らの弱さの露呈である。
神を信じるということも同じこと。
自らを信じ、神と約束するからこそ叶う願い。
まずは自分の心の在り方を定めよ。
自分を信じてくれている者たちを心から信じている自分を見つけよ。
これが信頼になる。
ということでした✨
信じるとは、思えばなかなか難しいことですね😅