『七福神様』から始まり『弊串の神様』までの神様たちのお話✨
お話を聞かせてくれた神様や、お話は出来なかったけど物語として教えてくれたりと、総勢「40人(柱)」(正確には45人)の神様たちのお話を載せました。
この神様たちは、琴・皇子がお仕事でやっているお客様にご依頼頂いた、新築工事における『土地浄化等祈願祈祷施術』(正式には、「土地浄化浄霊除霊結界・厄祓い・昇華消滅・清浄化祈願祈祷施術」)に来て下さった神々のお話です。
お願いしたら来てくれる訳ではなく、数年に渡りご挨拶や呼ばれて向かった神社やお寺など、様々な場所に行き、人で言う「交流」を深めて来たからこその成果だと思います。
ご縁を頂いたお客様にもたくさんのご協力とご厚意をいただき実現したものです。
また、イベントでお知り合いになった方や来訪下さったお客様からのお話で出向いた場所への神々との出会いや、友人の経験談からヒントを得た場所へ訪れ出会った神々とのご縁が、今回の土地浄化施術に全て反映されています。
古来からの神々のお話とは少し違うところもあります。
あくまでも琴が神々から聞いたお話であり、正解かどうかは分かりません。
ですが、神を信じる気持ちと、琴・皇子の力を信じて下さったお客様の『信じる』想いが、今回の施術という形となっています。
『お家を建てたい!』というお客様の夢と希望、そしてご家族の幸せと繁栄のために、日本各地を飛び回り得た神々とのご縁をお仕事として反映させていただける機会に恵まれ、数々の関わった方々とご依頼くださったお客様には感謝しかありません。
琴・皇子の土地浄化施術には、その土地に必要な神様が来てくれます。
今回登場してくれた神様たちは、地鎮祭に合わせ集まってくれた神々です。
神社仏閣だけではなく、自然神や精霊・妖精など目に見えない存在が琴・皇子を支えてくれています。
ひとまず【土地浄化施術】に関わってくれた神々のお話はここまで✨
明日からは、また違う神様たちのお話✨
九十九神(つくもがみ)
日本に伝わる、長い年月を経た道具などに神や精霊などが宿ったもののこと。
九十九神とは、人をたぶらかすものや妖怪として、あまり良いイメージがありません。
ですが、今回の九十九神としてのお話の『弊串(へいぐし)の神様』は、人をたぶらかすものや妖怪ではありません。
上棟式に棟に上げる祝い柱、または束。
弊束とも呼ばれます。
この柱に根付き家や人を守ってくれる神様です。
そんな『弊串の神様』から琴が聞いたお話✨
我が呼ばれし場所は、特別の場。
我はいつでもどこにでも現れるわけではない。
そして、いつでもそこにあるものでも無く
いずれは地に還される。
しかしそれは、そこにあるもの、そこに住む者、そこから旅立つものに全て言えること。
生きとし生きる者の願いがひとつになる場と確かな思いに応えるために参る。
そして、我に選ばれし者がそこにいることを確認し今回は参った。
昨今。
新しいものを手にするだけで、我が手に入った瞬間に興味も存在も忘れ去られる。
お金をかければどんなものも手に入る。
お金をかければどんなものでも捨て去ることができる。
安易な考えで手にされた「もの」は『怪(もののけ)』となり、人災厄災の元になる。
それだけ、一瞬の思いは儚い。
しかし、時を繋ぎ、時を大事にし、その時を生きる者への思いにブレがなく、また執着することなく未来を見据え、守りし存在を忘れず大切にする、心からの想いに嘘偽りなき者の元には我のような神が宿る。
家とは塚。
そこで暮らしそこから旅立つ場。
神宿る塚はいつまでも守られ、その塚を守る者もまた守られる。
いつかは全てを地に還し、また新たな塚(家)を築くだろう。
今回のこの地に命預け、渡世を送る者は、何事にも弱音を吐くことなく辛苦を全うし、全て自らの力にすることを約束した。
そして、その約束は子に継がれ、その子もまた大切に育てゆく子に受け継ぐ思いを繋いでいくだろう。
ここは我にとって安住の地。
心地よい想いが流れ入るのがわかる。
住む者の想いが家を守る。
そしてその住む者の想いで家は生きていく。
住めば都という言葉があるが、我はそうではない。
我のいう都は『想い』が整っている場。
街が乱れていればどこにいても不安と恐怖の連続。
心に乱れを及ぼす環境は、住まうものの気持ちも守るべきものの中心が自分となり、負の結界を勝手に作り、居心地を悪くし災難を呼ぶ。
そのような環境に供えられた神は、悪霊怨念と共に妖怪にとって変わり、悪災を呼ぶ。
それはもはや神とは言えぬ存在になる。
そもそも神として供えられた輩は、すでに神の意識と姿を見よう見まねで寄ってきた九十九神。
そこに神は存在していなかったことになる。
今こうして我がいるということは、そこに住まう者の心意気に応えるため。
我を呼ぶための準備が為されていること。
そして、様々な神に愛されている証を見たこと。
これら条件を飲み、この地に足を運び下ろしている。
あとはこの地に住まう者たちの生き様と心意気を、これからゆっくり見せて頂く。
人に影響を及ぼす悪氣の範囲は知っておろう。
人の想念というものは知らぬうちに根付く。
度々訪れ悪しき欲念を取り払い、常に新たな生気を保つ環境を心掛けるが良い。
気を使うは『氣を遣(塚)う』に値する。
氣を塚(家)に与えるということ。
何かのために自らの思い・気持ちを込めて、心から動くこと。
その心意気、この地に住まうものに与えて欲しい。
さすれば、我も心穏やかに過ごせるだろう。
何事にもブレない芯がある主の元、この家もどんな災害にも耐えるものとなり、命を守るものとなろう。
ということです✨
いつも穏やかに過ごしていただきたい!
そして守り神として来てくれたことに感謝✨
ありがたい✨✨✨
『天照大神』は神の中ではかなり有名なお方ですね!
誰しもが一度は聞いたことがあるお名前。
日本の神様の象徴とも言えます。
太陽をはじめ、光 慈愛 真実などを象徴する最も尊い神様と言われており、皇室の祖先とされています。
日本で最も重要な神様のひとつとして、あらゆる願いを聞き届けるとし、所願成就の神様として知られています。
代表的神社は『伊勢神宮』
鎮座して2000年の歴史を誇り、内宮と外宮の正宮を中心に、全部で125社から構成される日本最大の神社。
20年に一度、正殿を建て替え神様の御神体を遷す(うつす)、「式年遷宮(しきねんせんぐう」があります。
そんな『天照大神』から琴が聞いたお話✨
皆の幸せを願い、そして自分の幸せとすること。
神も人も思いは同じ。
人と神は万里一体。
非常に遠い存在ですが、思いはひとつです。
それは、人の心と神はひとつということ。
神が幸せを思えば、人も幸せを願い
神が安泰を思えば、人は安泰です。
御心のままという言葉があります。
意に従い、意を汲み、意向を尊重し、意のまま思いを継ぎ、意に沿い思いのまま、仰せのままにという意味があります。
全ての尊厳は神にあり、その尊厳に対して自らを改め言う通りにすること。
尊敬・敬いの気持ちを「御心」として表現します。
神と人の心がひとつなのであれば、その「御心」はあなたにもあるのです。
自分の心に従い、自らの気持ち(意)を汲み、自分の考え(意向)を尊重し、考え(意)のまま思いを継ぎ、考えに沿い思いのまま、自らの心のまま行動する。
心に決めたままに行動すること。
これを『覚悟』と言います。
自分の心(御心)で決めたこと(覚悟)をする(行動)。
この思い(心)が、神と自分(人)をひとつ(一体)にします。
思いがひとつになること。
それは遠い存在とされる神と繋がること。
唯一、一体になる方法です。
そこには、邪念邪心は存在しません。
何が良くて、なにが悪いか。
それは自分が決めていることで、自分の考えのまま思い、言葉に出し行動で表します。
全ての人がそうして生きています。
その生き方考え方思い方の中に神は存在します。
神なる存在が魂だということ。
魂は神が定めたひとつの命であり、命を全うするために魂が宿る存在が人としてあるところに神はいます。
これが神と人が「ひとつ」ということ。
神を信じること。
それは自らを信じることと同等です。
神に願うこととは、「自分との約束」
神を尊いものとするなら、自らを認めること。
神を信じ、そして人を信じることは、自分を信じることです。
そこに、裏切りや否定、様々な野心邪念を感じることがあれば、それは自分にもあるもの。
ですが、人はそれらを「自分には無いもの」と否定します。
ならば「自分にもあるもの」とし、心に思うまま行動することで、裏切ることなく否定せず、様々な野心邪念を捨て、認めればよいこと。
神を信じ、人を信じる思いは、自分が持つ御心のまま、魂の生き様在り方全てです。
それが「命」として、自らを生かし生かされています。
我が身が神なる存在の一部から生まれたように、あなたたちも神に守られし存在。
自分を信じるということは、神を信じることに通じ、神を大切にするということは、自らを大切にするということ。
人は、人として我が身を守るのと同時に、相手のことも認め、その相手も守っています。
自分を大切にしている者こそ、相手の気持ちを大切にします。
守るということは大切にするということ。
寄り添う思いやりが、自らと相手を守り認め、互いの命を大切にします。
これが愛であり、大切にする相手がいることで感謝が生まれます。
命とは育むこと。
命を大切にすることは、自らと相手を守ること。
大切にしたい思いが仲間を増やし、その仲間から大切にされることで、自分を認め相手を認めることができ、守ることに繋がります。
これら全ては思いやり。
自らの幸せは「心」が知っています。
聡明でいつでも懸命。
そして思いやりの気持ちで寄り添う。
自らの心にある愛と感謝を信じ、命を育てなさい。
というお話でした✨
「はい。」
素箋鳴尊(スサノウノミコト)は、皆さんも聞いたことがあると思います。
日本神話の代表的神格で、出雲神話の祖神とされます。
伊奘諾(いざなき)伊奘冉(いざなみ)の二神の間に生まれたとされ、天照大神の弟と言われています。
その凶暴さにより、地上また高天原を追放され、根の国の主神となります。
その途次、出雲國にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、稲田姫と結婚し宮を営みました。
暴風神・農業神・英雄神など多面的な神とされます。
そんな『素箋鳴尊』に琴が聞いたお話✨
皆、自らの神というものを持つ。
我が自らを神と思っていないのと同じように、我にも神はいる。
誰も自らを神とは思うておるものはいないだろう。
それは我も同じである。
神から生まれた者は神として扱われる違和感に悩まされ、我は我を認めて欲しく自暴自棄になっていた時もある。
皆、それで良いではないか。
我を忘れ自らを主張することもあってもそれは罪ではない。
だが、あることがきっかけで自らの本心にくすぶる玉(魂)が弾けた時、我は自らが神としての存在と気づく。
それは我が魂は自らのものではなく、他(た)のものでありそしてその他から学ぶべきものと気づく。
人のためにではない。
ましてや自らのものでもない。
それは我が身全てを作る魂からのものであり、我が身が神の一部から生まれた証ということが理解できた時、全てを知った。
どんなに長い時を費やすことがあっても良い。
またはとてつもなく短い時で知ることもあるだろう。
どんなタイミングでも、気づきは誰にでもある。
そしてその気づきに気づいた時。
自らの内なら神に気づく。
それが神と繋がる時であり、神が身近に感じる時であること、我が身で感じることが出来る。
ということです✨
自分の中にある神。
それは自分自身が神なる存在だということの意味を心から知る気持ちが、自分を楽にさせるということをみんなに知ってほしいです✨
出雲大社の祭神。
『大国主命(おおくにぬしのみこと)』は、スサノウノミコトの子、または6世な孫とされ、少彦名神(すくなびこなのかみ)と共に、中つ国の経営を行ったが、天照大神の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退したと言われています。
大国主命のお話で有名なのは、因幡の白兎のお話は誰もが一度は聞いたことがあると思います。
大国主命は大黒様と同一視され、医療・まじないの法を定めた神とされます。
そんな『大国主命』から琴が聞いたお話✨
神がこの地に降りた時、人々は生きるために懸命に働いていた。
子供を守るため
家を守るため
土地を守るため
家族を守るために生きる
そんな暮らしがあちこちに見えた。
だが、今は自分の欲を果たすために生きている者たちが増えた。
一生懸命という言葉が退化するように、自らの一生懸命はあれど、守るための懸命さが希薄だ。
人は思いやりを持つ唯一の存在だと知っておろうか。
命あるもの全てに思いやりというものを神は与えた。
人や動物に相手を思う気持ちを持つことで優しさは生まれる。
そこには尊い愛があり、支え合う思いが存在した。
守るということは、とても尊いもの。
愛無しでは語れない。
今の世の中、希薄な愛で蔓延しこの世を生きている者たちに同情する。
自らの欲を果たすために神に出会い、縁を懇願する者たちに何の幸が訪れようか。
中には真剣に願い、自らの運命をも呪いながら祈願しに来る者もいる。
その者たちの思いを少しでも汲み、歩み寄る者たちが年々減っている今、誰が思いやりを持つことの素晴らしさを伝えるのか。
神は言葉を持たぬ。
病に伏せ言葉を待つものがいること。
心が病み、救いの言葉を待つ者。
表面には出ぬ「待っている思い」を誰もが持っている。
その1人に神は存在する。
信じるものがいてこその神。
信じないものがいてもそれは良い。
心の中にある神は『自分そのもの』ということに気づくことで、希薄な愛も思いやりのある愛になるということが皆が持っている愛だと知っていただきたい。
守るとは思いやりと愛の両方があってこそ。
自らの思いに愛があること。
知り気づく世になるよう見守ろう。
とのことです✨
ただ優しくすることだけが良いのではなく、そこに心からの思いやりがあってこその愛ですね{emoji:082_char3.png.ラブラブ}
本当の守ることの大切さは、ただ思うだけではなさそうです。