今回は、『土地を見守る神様』のお話✨
今までは、【土地浄化施術】において協力してくれた神様や聖獣や神獣、明王様や菩薩様や七福神様たち等、様々な神様達のお話をしてきました✨
今回は、その土地に根付いている「神様」と呼んでいる方のお話。
氏神様とは違い、その土地に住む人や代々のご先祖様が守ってきた場所には「土地神様」と呼ばれるものがいます。
それは「白蛇様」だったり「龍神」と呼ばれるものだったり色々です。
今回の土地神様は、それらとはまた違った神様のお話です。
この神様は、元々その土地にいらした訳ではなく、この地に住む人でこの先の未来の人々の「先祖」となる者が来るという天からの指示で来られた神となる存在だと言っていました。
姿に形は「人」そのもの。
知らない人がいるな〜なんて思って見てましたが、実は神様だった😆笑
土地浄化施術は、天からの神の指示で始まります。
この日は朝の4時からの施術。
お家を建てられるお客様ご家族皆様には、朝早くから集まっていただき、有難い限りでした。
まだ日も上がらない真っ暗な状態から準備をし、朝日が昇り始める少し前から施術を開始。
既に準備段階から施術は始まっています。
今までの経験上、氏神様やお不動様が先に来ていることはありましたが、何やら知らないお方が土地の真ん中にポツリと立っています。
様子を見にきたご近所さんかと思うくらい「人」😅
集まったご家族もその方の存在に気にも止めないので、知り合いかと思ったくらいです。
でも、実は「見えていない方」だったようです😅
良く良く考えたら、前日に、施術にあたり邪気や邪念が入らないように結界を張ります。
その後には、元々いたもの以外のものは入れないことになっていますが、土地の真ん中にいらっしゃいました。
そして、施術をする際に、神々が入れる様に結界を解きます。
その時に、トコトコと近寄ってきたその方が言いました。
「この土地のご先祖様となられるお方にお力添えありがとう。今日はよろしくお願いします。」と。
普通に「はい。よろしくお願いします。」と頭を下げて作業に入りました。
なんの違和感もなく施術が始まり、気が付いたらその方はいなくなっていたのです。
施術も終わりその方の存在は忘れていましたが、今日までの土地浄化施術において協力してくれた神様のお話を書いてきて「あれ?」と思い出したのがこの方。。。
実は「正真正銘の土地を見守る神様」だったと今気づくという😱💦💦
こんな経験も無く、改めて良い経験をさせていただいたご家族と神様達に感謝です。
ありがとうございます✨
そして、まだ【土地浄化】に関わる神様のお話は続きます😆
『お釈迦さま』という言葉を聞いたことあると思います。
『釈迦如来』とはお釈迦さまの呼び名のひとつ。
「如来(にょらい)』とは、悟り(さとり)を開いた人のことを指した言葉で、人間が悟りを開けば如来になれると信じられています。
悟りを開く直前の修行中の人を「菩薩」と呼び、悟りを完全に開いた人のことを「如来」と呼びます。
真の悟りを開いた人全般を如来と呼び、特定の固有名詞ではありません。
釈迦如来の他、よく知られている如来様に
薬師如来
阿弥陀如来
大日如来
がいます。
そんな『お釈迦さま』に琴が聞いたお話✨
人はひとりひとり自分と他人を分ける。
それは魂がひとりひとり『個』である証。
だが、悟りを開き神なる存在になった時、
人はひとりではなく『皆』となる。
これは『皆(かい)』と呼び、『すべて』となる。
人は姿形が違えど持つものは皆同じ。
同じ体があり言葉を話す。
通じる通じないではなく「言葉」を通じ会話をする。
そして同じく心がある。
心があるから通じ合う。
その心を以て「魂が通じ合う」という。
皆が死して逝く場所には魂がある。
住む場所違えど逝く時間が違えど、同じ大地で生きている。
見た目や環境の違いはあって良かろう。
そこで学ぶことがたくさんあった方が人生は楽しいもの。
苦楽を楽しみ苦楽を喜ぶこと。
なによりも得難い有難いこと。
なによりも生きて楽しむことが至極とはこのこと。
悟りを開いたからといってそこで終わりでは無い。
悟りを開くまでの苦行こそ楽しいことだと思えるだけ。
苦労を乗り越えた時と同じこと。
人にはひとりひとり与えられている苦行がある。
それは喜びに変わる糧でしか無い。
苦労しなさい。
悲しみや辛さを噛み締めなさい。
そこでしか分からない感情から感謝を知ることが出来る。
喜び楽しみを知っているから辛く苦しい。
この感覚を楽しみなさい。
今しか出来ないこと。
生きている今だから感じられることを喜び、
そして目の前の『皆』に伝えなさい。
それが今自らが出来ることであり、やるべきことです。
ということです✨
はいっ‼️
楽しみます❣️
伝えます‼️
ブログで😆笑
『観音様』という言葉を聞いたことがあると思います。
昔話にもお地蔵さまと並んで出てきたり、嘘つきや悪いことをした者に対して、天罰を与える神として出てきたり、苦しみから救いの手を差し伸べる神として登場することがあります。
大乗仏教において特に崇拝されている菩薩の名で、世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済する求道者の意。救う相手の姿に応じて千変万化の相となるという。阿弥陀仏の脇侍ともなるそうです。by コトバンク
また、観音とは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の略で、人々の苦しみを除いたりお願い事を聞いたりしてくれる慈悲深い仏様のことです。
そんな『観音様』から琴が聞いたお話✨
神を神として崇めることをやめなさい。
神は皆ひとりひとりの胸の中にいるもの。
手の届かない場所に神はいません。
ひとりひとりの心に住まうもの。
心に悪があれば、それを打ち消す神もいます。
心に闇があれば、それを消す光となります。
心が豊かなれば、その豊かさを自分以外の人に与える勇気になります。
心が喜べば、その喜びを自分以外の人と共有します。
そして心からの思いやりを持てば、それは自分と自分に関わる者たちを幸せにします。
神とはそういうもの。
その神が自分を通して仲間やそれ以外の者たちの心に見えた時、人は「縁」を結び、これを『引き寄せ』と呼ぶものもいます。
縁は自らが持っているものに集まるもの。
気持ちが通じ合うもの
話が合うもの
趣味が同じものも然り
気持ちが合わないもの
話がが通じないもの
気持ちが見えないもの
これらも全て「縁」で導かれ、そこには学びがあります。
どれを取るではなくどちらも自分に必要なもの。
良し悪しは自分が決めるもの。
出来たら良いものを求めるのも、また心情。
心からのことをしなさい。
心から思うことをしなさい。
それが本来の自分の姿です。
ということでした✨
はいっ!やります😆
ブログ書きますっ笑
「仏様」とはよく聞く言葉だと思いますが、この仏様には順位があります。
最も位が高い『如来様』
その下に『菩薩様』
またその下に『明王様』
そして最後に『天』
「天」は、大黒天や毘沙門天がこのグループ。
「明王」は、不動明王や愛染明王。
「菩薩」は、弥勒菩薩や観世音菩薩(観音様)
地蔵菩薩(お地蔵様)
「如来」は、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来と分けられます。
今回は、菩薩様である『地蔵菩薩様』お地蔵様のお話です。
お地蔵様は、昔話にも良く出てくる庶民の人気者。
誰の目にも止まり、また誰からも愛される身近な存在です。
昔は、その村を守る氏神様の代わりに人々の身近な存在として民の生活を見守り子ども達の健康を守ってくださる神様として崇められていました。
地蔵菩薩とは、釈迦が亡くなってから弥勒菩薩が現れるまで無仏になる間、全ての生き物を救うと言われている菩薩で、道端などに良く見られるお地蔵様のことです。
大地のように広大な慈悲で救済するということから、この名前がつきました。
僧侶の形をして、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持っている愛らしい姿で広く知られています。
地蔵は、地獄の責め苦の救済を求める対象なり、親より先に死んだ子供達を守るのが地蔵菩薩であるとされています。
六道輪廻の思想から、あの世への旅立つの場として。
また、六地蔵像があるところでは、死ぬと六種の世界は生まれ変わることから、その都度六つの地蔵に救ってもらうため。
そして、町外れや辻という町の結界には、地蔵尊が守護神として祀られているのをよく見かけます。
そんな、町の守り神『お地蔵様』から琴が聞いたお話✨
最近の子供達は外で遊ばぬな?
我ら地蔵のことを知らぬ者も多いだろう。
ただの石の塊だと思うておるのもいる。
それでも人は災いや病気になると神だ仏だと神社や寺に行き、ご利益ばかり求める。
わしらのご利益は、皆を守り、その守りに感謝する者の健康と厄を災いから守ること。
こんなに身近で神に触れることは無いというに、非常にもったいない。
皆、地蔵のもとに川を渡りあの世に行くというに、知らぬが仏とはこのことじゃな。
それでも尚、手を合わせ1日の健康と安全を守るために寄るものもいる。
ありがたいことじゃ。
いいか?
ここからの話を良く聞け。
地蔵は手を合わせてほしいからいるのではない。
この世を旅立つ命がある限り、必ず地蔵の元に寄りあの世に旅立つ。
その時、生きて命を繋ぐ者に対して魂となった者はいつもこう言う。
『どんなに辛くても魂になれば、そこからまた新しい修行に入る。生きて辛く苦しいことも、死んだらそれは感謝に変わる。生きていれば手を合わせ感謝する場もある。生きていれば言葉を交わし心安らぐ相手もいる。言葉発すれば皆の耳に届き自らの思いを言葉に出すことも怖かろう。だが、魂になれば自らの言葉は神仏にしか聞いてもらえず、またその願いは聞いてはくれぬ。生きている時にしか出来ぬこととは、しっかり自らの思い考え方を伝えることじゃ。
これができぬ故、後悔未練としてこの世に魂を残すことになる。
これが成仏出来ぬということ。
まずは地蔵に心の中で悩み苦しみを打ち明けよ。
死人に口無しとはよう言うたもの。
この世では地蔵にも口無し、他言無用じゃ!
神仏も同じこと。
願いを叶えるのは自分。
じゃが、願いを打ち明け自らの約束にすること、聞き届けた神仏は必ず応援する。
なぜならば、神仏に打ち明ける願いは、自分の内の神なる存在「魂」との約束となる。
魂が偉いのではない。
その魂を宿して苦難を乗り越える己こそ、神なる存在。
自分を卑下することなく、応援してくれる者たちがいることに感謝せよ。
それが仲間というもの。
毎日地蔵に手を合わせていれば、同じ地蔵に手を合わせにくるものと話すこともあろう。
これが仲間というもの。
やり続けることの大切さは、自らの意志で作り動いていること。
途中で投げ出しても良い。
経験は積まれ、それが身になるまで続けることが困難だっただけのこと。
自分に正直にとはこのこと。
やれば達成感。最後までやらねばそこまでの経験。どちらも自分が分かるというもの。
生きているということは全てが恵み。
成し遂げたければ行動のみ。
我はいつも皆をみておるぞ。
とのことでした✨
ブログ頑張りまーす❣️
今回は『雷神様』のお話✨
風神の対極には雷神と言われ、二神で一対となります。
雷神は雷様として有名ですが、『雷電様』や『雷公様』『鳴神(なるかみ)』とも呼ばれています。
風神が風を司る神様ならば、『雷神』は雷と水を司る神です。
日本書紀で雷神は「ホノイカヅチノオオカミ」といい、雨乞いの神や稲作の神と言われています。
雷や水災害が起こらないように祈る事や、農作物の豊かな収穫を意味して雷神を祀る神社も多く、社名に雷神と入っているところもあります。
そんな『雷神様』から琴が聞いたお話✨
全ての恵みは『水』からある。
水無くして生き物は生きていけぬ。
その水を怒らせ恐怖させるのは人間。
自らの私利私欲のために山を崩し川の流れを変え、自然の摂理を崩しているのも人間。
空の機嫌も地からの反映。
雷もまた警告の一部。
風神と共に我らタッグを組むことで、恐ろしいエネルギーが発生する。
竜巻、スコール、様々な自然現象が現れる。
混沌とした世の中。
我が身を見つめ直す機会を、過去には自然になぞらえ自然からの教えで自らを正した。
そこには神があり、神がいた。
今はその機会にも恵まれず、神として崇められしか者どもも地に降りることが少なくなった。
自然を感じることは人の五感に問う。
自然を愛することは人の感情に触れる。
優しさや思いやりは自然と出てきてこそが、相手に伝わるというもの。
怒り憂いは滞った思い。
溜まったいるので有れば出せば良い。
涙にも意味がある。
涙は人の身体から溢れ出た水。
我の領域。
怒り涙している自分があれば、雷雨と同じこと。
人の身体には八つの神が宿る。
それらすへに「雷」が付く。
痛みには涙付きもの。
痛みに怒りを乗せる者もあるだろう。
悲しみには涙付きもの。
怒りの悲しみもあるだろう。
辛さには涙付きもの。
辛さの原因に怒り抑えられない者もあるだろう。
苦しさには涙付きもの。
苦しさから逃れられず自らに怒りを持つ者もあるだろう。
嬉しさ、喜び、感謝に涙するもの。
そこに感じる愛で涙することもある。
それだけ人は感情の生き物。
ゆえに水無ければ生きていけぬ者。
涙するもの全てを忘れ消し去る。
風の神もそこに存在する。
雷神と風神は皆の元にあること、覚えていてほしい。
感情を出すことに恥じてはならぬ。
そこに自然の力の助けがある。
自然とは神。
自分らしく自然に生きる。
神と共に生きる自分に気づいてほしい。
とのことでした✨
納得✨✨✨