『ニニギノミコト』は、アマテラスの孫にあたり、天界から地上に降りてきた神様。
アマテラスの孫達が地上に降臨し、このことを「天孫降臨」と言います。
そしてアマテラスは降臨するニニギに稲穂を渡し、「この稲を育てて地上を治めなさい。」と言います。
そこから稲を高く積む場所として『高千穂』と名付けられました。
宮崎県北端部にある、ここ高千穂町は『神話のふる里』と称される所以です。
さらにアマテラスは今の天皇の使命である「三大神勅」をニニギに託します。
一つ目に、この国の君主である自覚を持つ「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」
二つ目に、神としての生き方を示した「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」
三つ目は、この国を繁栄させるという「斎場稲穂(ゆにわいなほ)の神勅」
この三つの神勅を守ることが天皇の使命とされています。
ニニギにはこんなお話もあります。
降臨後、ニニギはオオヤマズノカミの娘コノハナサクヤヒメに一目惚れして妻にします。
父オオヤマズノカミは娘を嫁がせる際、姉のイワナガヒメも一緒に嫁がせましたが、イワナガヒメは美しくなかったため、ニニギは姉だけを親元に返しました。
これを父オオヤマズノカミはとても残念がりました。
二人を嫁がせたことには意味があり、コノハナサクヤヒメを傍におくと桜の花が咲き誇るように栄え、イワナガヒメを傍におくと、雪が降り風が吹こうと岩のように変わらない命を持つことが出来る。しかし、イワナガヒメを返したことで儚い命になる。ということでした。
こうして、ニニギの子孫である天皇は神の子であるにもかかわらず、その命は限りあるものになったそうです。
国歌君が代の「細石の巌となりて」とは、子々孫々岩のように永く続くという意味だそうです。
ニニギも父オオヤマズノカミの意図はわかっていたはずですが、永遠の命を続け愛が冷め止むくらいなら、限りある命の中で出来得る限りの愛を捧げたいとそう思ったであろうニニギは愛を貫きました。
そんな『ニニギノミコト』から琴が聞いたお話✨
気持ちというものを簡単に変えられる者ほど非情。
また簡単に変えられない者は依存や執着になる。
程よくが一番難しく、また心に決めることとは信念を貫くこととなる。
何を一番にしたいかは自分がよくわかっている。
そこに自信をつける『何か』を定めることが、なによりも難しい。
だが、心から思うことがあれば、その難しさはとても容易いものに変わる。
自らの気持ちを大切にしていただきたい。
とのことでした✨
『天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)』は、八百万の神の中でも一番の怪力の持ち主。
一番に有名なお話は、「天岩戸」
岩戸に引きこもった天照大神が外の様子が気になりもっと詳しく見たいという思いから顔を出した時、タヂカラオが天照大神を引っ張り出し、岩戸に縄をかけた。
という話。
また、タヂカラオは不動明王と同一化されたという話もあります。
そして、タヂカラオは伊勢神宮内宮に相殿神として祀られています。
そんな『アメノタヂカラオノミコト』から琴が聞いたお話✨
人が持つ三つの力を教えよう。
愛
感謝
思いやり
この三つは、人は必ず持っている。
この三つは、我の力を持ってしても崩すことのできぬ強固なもの。
人は信じることで思わぬ力を発揮する。
そのためにも日々の心の精進鍛錬を虐げられる。
人の上に立ちたければ、心に秘めた強い思いを貫くことを忘れず、自分の意思を貫く。
まずは忘れてはいけないことを心の中心に置くと良い。
とのことです✨
『スセリビメ』は「スセリヒメ」とも言い、大国主命の妻でもあります。
そして、スサノウノミコトが溺愛した娘。
スセリヒメの『スセ』とは進むという意味。
または『スサブ』という意味。
スサブとはスサノウのことで『荒ぶる』という意味です。
スサノウの愛を一心に受け、少々のわがままも許され、伸び伸びと育ったことでおてんば娘に成長したスセリヒメ。
そんな『スセリヒメ』から琴が聞いたお話✨
私の愛は一筋の光。
そこに迷いなく揺るぎない愛があります。
自己を貫く。
迷いのない思いで、何事にも後悔せず進む。
信念とはこのようなものです。
世間が気になり、周りの様子を伺い自分の思いを知られぬよう思い(心)を閉ざすのは、私の性分ではありません。
皆、私と同じようになることが出来たら心に負担を持つことなく楽に生きられるのに…と常々思います。
苦労は常々あるもの。
ですが、それをものともしない自己の強さは、誰しもあります。
私はそれを信じています。
とのことです✨
『八上姫(やがみひめ)』は、大国主命の最初の妻になった神様です。
ヤガミヒメには、ある物語があります。
ヤガミヒメが発した一言で、自らの人生を左右する出来事が起こる。
そのような内容が伺えます。
一度は大国主命と夫婦になりながら、一度も一緒に暮らすことなく、大国主命の子を産んだ『ヤガミヒメ』
そんな『ヤガミヒメ』から琴が聞いたお話✨
無理なお願いをされた時、人はどう断るか考えます。
すでに決まっている答えを素直に言えないから考えるのです。
素直に言えないということは、相手にとって気持ちが良くない言葉ということ。
ですがそれは、少しの気遣いで相手の気持ちを害する言葉から、思いやりあるものに変わります。
気遣いが出来る場面というのは、そうそう出会えるものではありません。
これもご縁。
このご縁を大切に長く続けるためには、いつでも気遣いと思いやりはとても大切です。
どんなに身近な存在でも、いつでも変わりなく、気遣いと思いやりで接することの出来る自分でいられますよう心から願います。
とのことです✨
『豊受大神(トヨウケノオオカミ)』は穀物の神様であり、伊勢神宮外宮に祀られています。
天照大神の御饌津神(みけつがみ)とされ、丹波国より遷宮させたとされます。
※御饌津神とは、食物を主宰する神
ある日、丹波国の泉に天女が舞い降り水遊びをしていた。
それを見ていた老夫婦が一人の天女の羽衣を隠してしまう。
羽衣を隠された天女は天に帰れなくなり、老夫婦の養女となる。
この天女が『トヨウケ』です。
トヨウケは酒作りが上手く、その酒が高く売れて老夫婦は大金持ちになる。
当時の人にとって米と酒は一番大切な食べ物。
このことからトヨウケは穀物の神様とされたとしています。
そんな『豊受大神』から琴が聞いたお話✨
食べること。
それは『生きること』です。
どんな偉いものも貧しいものも食べなければ生きていけません。
生きていくために一番大切なものを欠かしてはなりません。
また、欲張り無駄にすることは天にも自分にも罪なこと。
人は必要なものを全て準備されています。
衣食住全てが生きるためには必要ですが、食べ物がなければ生きていけません。
また、食べることが出来なくなった時、人は死を迎えます。
与えられたものを与えられた分だけ食す。
与えられた運を与えられた分だけ全うする。
食も運も同じこと。
そこに憂いを持ち我欲を出すことでバランスは崩れ、真っ当な生き方が虐げられます。
そうならないよう自らを管理し、与えられたものに感謝すること。
自らを生かすことは、自らを管理することと同じ。
食は血を作り身体を動かす。
食は身体を作り思考を働かせる。
食は思考を働かせ自分を動かす。
そして交流はここから生まれ、縁は繋がる。
心に良い食で、人に優しく自分も穏やかに整えた時に出来た縁は信頼になります。
心が乱れているものは食も乱れ荒んだ縁しか手に入りません。
食は神聖なもの。
神聖な食は穢れを祓います。
正しい食で自らを生かす。
自分を大切にするということは欲のない生き方をすることです。
ということです✨
美味しいものが溢れている今の世の中。。。
自分にとって正しい食を見つけることが難しく思えます😅