風神は『風を司る神』として有名です。
他には、「風の精霊」や或いは妖怪をそう呼ぶこともあるそうです。
古事記や日本書紀に記された神話の中では、シナツヒコが風神とされています。
古事記では、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしています。
日本書紀では、神産みの第六の一書で、イザナミが朝露を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)級長津彦命(しなつひこのみこと)という神が生まれ、これは風の神であると記述しているとされています。by Wikipedia
妖怪としては、空気の流動が農作物や漁業への被害を与えるという、中世の信仰から生まれたもの。「カゼをひく」の「カゼ」を「風邪」と書くのはこのことが由来と言われており、江戸時代には風邪の流行時に風の神を象った藁人形を「送れ送れ」と囃しながら町送りにし、野外に捨てたり川へ流したりしたそうです。by Wikipedia
文学では、悪心として風神を鎮めるための祭事があったり、風の神は『邪気』のこととしていたり、疫病発生の暗示と言われたりしているようです。
あまり良いイメージではないですね😅
そんな風神様から琴が聞いたお話✨
災害や病気は人間が作り、自らの元に引き寄せる。
空気を乱し、自然を壊し、そして自らの身体を弱らせる。
これらの原因を風は運ぶのみ。
自然のままに流れ吹く風をどう捉えるかは人間次第。
良い気を求めるのであれば、良い気が作られる環境にしたら良い。
悪い気を浴びたくなければ、皆が心一つに良い事をしたら良い。
だが人は様々。
風の吹き方も様々あるように、意志あるものには個性がある。
それもまた良いではないか。
悪があって神がいることを知るのと同じこと。
悪があるから神を求める。
神ありきの世界はなんら変化も無い、つまらない世になるだけじゃ。
いいことばかりだと、何が良くて悪いのかすらわからぬ。
それこそつまらないこと。
心地よい風が吹けば、皆気持ちが豊かになる。
激しい風に当たれば、皆不快になる。
だが、逆も然り。
皆が良いと思うことに不快なものもおる。
皆が不快と思うことに心地よさを感じるものもおる。
皆自由で良いではないか。
病気になる者はその後身体を労わり
病気を知らない者は無理をする
また、病気ばかりしている者は無理をしない代わりに自信を無くす
病気を知らない者は自らやりたいことを精力的にやりこなす
そして身体の弱い者は、やりたい事をやっている者を憧れ、自らを憎み憧れている者をも憎む
健康な者は病弱な者を哀れみ、そして自らの健康を自慢しながら病気への憧れを持つ
人は無い物ねだりで理不尽な生き物
何が正解かは、誰も知らぬ。
自らを何者かわからぬ者に我が姿がわかるはずも無く、風はただの風であり目に見えぬ存在としているのみ。
ただ、その風の力で命を育み子孫を増やすものもおる。
風が無ければ草木も育たぬ。
育たぬ食物がなければ命も果てる。
風が無ければお主らも生きては来れなかったであろう。
何を良しとするかは、目の前にあるものだけではなく、心の動きに反応する知識と理解で成り立つ。
心の隙間に風が吹き辛ければ塞げば良い。
心が冷たく凍りつくなればそれを吹き飛ばす風に当たれば、全てを忘れるであろう。
自らの持つ風のまま
自ら願う風にあたる
思うままに生きれば良い。
とのことでした✨
確かに✨✨✨
前回は、稲荷神である『お稲荷さん』の眷属狐のお話でした✨
今回は、その眷属を連れて来てくれた
『九尾の狐』のお話✨
日本の神話や伝承にはたくさんの狐が登場しています。
その中でも稲荷神社などで人に親しまれている一方、妖怪として人に災いをもたらす恐ろしい狐もいます。
まず、狐神の中の『妖狐』とは?
狐が神になった「霊狐」の事で、300年以上生きると妖術を身につけることで『妖狐』になると言われています。
妖狐には「善狐」「赤狐」「白狐」と様々な狐神がいますが、『九尾の狐』のお話です。
尻尾が9本ある狐で、九尾の狐と知られ、白面金毛九尾の狐がいます。
「九尾の妖狐」や、単純に「九尾」と呼ばれます。
中国の格王朝の史書では、九尾の狐はその姿が確認されることが太平の世や明君のいる代を示す瑞獣とされます。
九尾の狐は、一部の伝承では天界より遣わされた神獣であるとされています。
このような九尾の狐。
では【土地浄化】でどのような働きをするかというと、、、
今回連れてきた7尾の狐の監督兼補佐と同時に、野孤を見張り、土地から現れる邪念邪気、想念の見落としが無いかの確認と共に、浄化に必要な結界に対してのエネルギーを張り巡らせてくれます。
そして、土地の端々に結界を張るための印を付けてくれたりと、普段目を向けないところや忘れそうな部分に対して目配りをしてくれたり、補強をしてくれたりととても大切な存在です。
そんな『九尾の狐』は、いつも土地浄化のお手伝いに来てくれるわけではありません。
今回は土地浄化をするために呼ばれた神社やお寺何社かを参拝しましたが、その都度、土地浄化に必要な神様やお手伝いしてくれる神獣等が集まるようお祈りしてきました。
その中に、『九尾の狐が来てくれたらいいな〜』なんて考えていたのも確かです😅
施術日当日にお姿見た時は、「まさか!」と目を疑いましたが、本当にいらしてくださいました✨
九尾の狐にご挨拶に行った時、目が合いましたが、とても素敵なグレーっぽいブルーでしたよ✨
お話は出来ませんでしたが、狐神様にお会いすることもなかなか無いのでとても貴重な時間でした😊
ありがたや〜✨
神々に感謝しかありません✨
というお話でした😊
お稲荷さんといえば『キツネ』を思い出す人も多いはず🦊
お稲荷さんの語源は『稲(い)生(な)り』で、稲の豊穣を守る神様です。
これが『稲荷神』です。
稲のような食物を司る神を古くは
「御饌津神(みけつがみ)』と言ったそうです。
この神名に「三狐神(みけつがみ)』の字をあてたので、いつしか狐が稲荷の神使いになったそうです。
この他にいくつか伝承があり、
・狐は野ネズミを襲うので、狐が稲の守り神になった。
・2000年以上昔、京都伏見の地に狩猟民たちがいましたが、狩猟民たちは山の狼を神の使いとしていましたが、稲作の定着と共に狼は山に追いやられ、代わりに里に住む狐が稲の神の使いになった。
というお話があります。
ところで、、、
琴の土地浄化施術には様々な動物の神様もお呼びしますが、なぜ狐か⁉️
それは、霊的な存在への働きをしてくれるのがお狐様だからです。
よく、狐憑きや狐に祟られるなんてお話は聞いたことがあると思います。
このような狐を「野孤(やこ)」と言います。
動物の魂階級の話をすると、一番下の低級霊として扱われています。
全てのお狐様がそうではなく、九尾の狐のいわれる尾が9本ある狐は特殊な霊力を持ち、人の心を読み取り悪霊や邪気に対して非常に強い懸念を持ち退治するというものもいます。
この他に、天狐・空狐・気孤など様々な狐神がいます。
今ここでお話する狐様は、野狐を扱う狐様。
なぜ野狐が低級霊なのか、人に影響を及ぼすかというと、
動物霊の中で人間に一番身近でずる賢いという理由から、狐が身近だったこと。
また、思いを念として持ちやすく、その由来は様々ですが、狐をいじめると必ず仕返しに来る!なんていうお話があるように、人に意地悪をしたり災いや不幸をもたらしたり、執着という点で恨み辛みを持つということで、人に近い念の存在とも言われています。
そして、施術に呼ぶ狐様は、その野孤ではなく九尾の狐の配下にあるお狐様で、尾が7本の狐です。
琴がある神社に行った時に話しかけてきた狐がいました。
その狐は言います。
「何か困ったことがある時には、私を呼びなさい。」
その場所は稲荷神社として有名なところでしたので、別に不思議な感じはありませんでしたが、怪しさMAXではありました😅
その時に別の狐様が出てきて、こう言いました。
『お前は狐を操る。悪霊、邪気、邪念、邪想持つ者全てお前の元に引き寄せられる。そのためにはいつも狐を抱えてよ。いつか役に立つ。』
と言われ、へぇーそうなんだ?なんて思っていましたが、昔からお祓いに行くと「あなたには狐が憑いてます。気をつけなさい。」と良く言われていたことを思い出し、なるほどね!と納得しました😅
それからは、狐が憑いているとは言われなくなりました笑笑
今思えば、この時の狐様は9尾の狐様だったかも知れません😅(色は白くて尾がたくさんあった!)
そして、この7尾の狐様。
低級霊と言われる野狐を使い、土地に根付く想念や邪気邪念を消してくれるお役目があります。
そのためにお呼びした狐様でした✨
大変助かります♪
今回は、狐様のお話でした✨
次回は、狐繋がりで『9尾の狐』のお話✨
「お伊勢参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り」
と言われた『金剛證寺』は、伊勢神宮の鬼門をお守りしているお寺です。
神宮の奥之院ともいわれ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常でした。
御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、日本三大虚空菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様です。
金剛證寺は、御本尊様と天照大神をお祀りし神仏習合の思想を表しています。
そんな虚空蔵菩薩様から琴が聞いたお話✨
世が世なら人も人。
神も仏も願う先は一緒。
ならば恩恵預かる場として皆同じ願いを望むはずが、あっちではこれ、こっちではあれとなぜ分けるのか。
ここは身を清め心改める場所。
なのに願いばかり先走り、目的目標が見えん。
そこに『間』が現れ、その『間』にやましさ・疎ましさが見え隠れし、己の欲となることを知らぬもの達が増えた。
その者がどんな願いを持っても、その望みは叶わぬということを誰もが知ろうともせぬ。
ここは約束の場。
自分が自ら望み、ただ一筋の希望を打ち明け自ら自信に導く場でもある。
我が寺に向かう前と着いた後では思いは変わる。
人の目的目標も同じこと。
辛さ苦しい道のりをただ歩むのではなく、自分と向き合い内面が表に現れた時、自らの心の内と向き合う。
なぜだどうしてだと自問自答を繰り返した時、下を向いていた頭は上を向く。
人は顔を表に上げた時見える景色に圧倒され我を忘れる。
その時に全ての思いが小さく女々しいものだと気づく。
そして改めて気づく。
何をするために目標を持ち目的としたのか。
そして心改め、また一歩を踏み出す。
我が寺に着いた時、皆同じことを思う。
「ようやく辿り着いた」と。
目的目標はそうして成就されるもの。
結果を急ぐ者。
満身創痍にがむしゃらになるべし。
目的目標持たずとも良し。
それがその者の性であり性分。
失敗から自ずと結果を出すことを知っている者。
結果をこだわる者。
欲を隠しエゴで押し切ること必須。
我が身の保身のみに心を費やし、心疲れて自滅の道を辿る。
自らの内面を無視し破滅を味わう。
結果に恐怖する者。
山の頂だけを眺め足を止めるのみ。
何も進まず何も変わらぬ。
自らが何者かを知らずに終わるのみ。
死して尚分かる己の魂。
ならば生ある時に自分がどの末路を辿るか、行かねばならぬ道が開ける。
そこには己の心情掻き立てる目標持つことで目的を全うできることを知る。
好きなことだけやる者。
満身創痍にがむしゃらになれる。
目標目的しか目の前にはない。
それがその者の性であり性分。
失敗しても自ずと結果が結びつくことを知っている者。
好きなことにこだわる者。
欲とエゴで押し切ること必須。
我が身の快楽のみに体を費やし、体疲れて心の自滅の道を辿る。
自らの内面しか見ず破滅を知る。
好きなことに恐怖する者。
山の頂だけを眺め足を止めるのみ。
何も進まず何も変わらぬ。
自ら何もできずに終わるのみ。
生きて尚分かる己の魂。
ならば死する時に自分がどの活路を見出せたか、やらねばならぬ道を切り開く。
そこには己の意欲を掻き立てる目標持つことで目的を全うできることを知る。
ということです✨
難しい…😅
鬼といえば「悪鬼」「邪鬼」と良いイメージがあまりありませんが、鬼から神になったお話もあります。
『鬼子母神』という言葉を一度は聞いたことがあると思います。
鬼子母神の物語は土地により内容が少しずつ変わっていますが、琴の知っている鬼子母神のお話はこうです。
ある日、人間の子供をさらっては自分の子供に赤ちゃんの生き血を飲ませ育てていた鬼女がいました。
見るに見かねた菩薩様が、100人からいる鬼女の子供を一人だけ隠しました。
人間の子供をさらいに行って帰ってきた鬼女が、子供が一人いないことに気づき探し始めます。
気が狂ったように子供を探してまわり、探しても探しても子供は見つかりません。
とうとう鬼女は、身も心も疲れ果てお釈迦様の元に相談に行きます。
そこで聞いたのが「菩薩様に会いに行きなさい」という言葉。
鬼女は菩薩様に会いに行くのをためらいましたが、我が子のためと意を決して足を向けます。
菩薩様に会いに行った鬼女が見たのは、そこに居なくなった我が子を抱いている菩薩様の姿。
泣いて我が子を返してほしいと懇願します。
そこで菩薩様が鬼女に言いました。
「そなたが100人からの子供のうち、一人いなくなっただけでこれだけ必死に探すのに、突然乳飲み子がいなくなった親はどんな思いだったのか。やっと授かった子もいただろう。子供をさらわれ悲しみに暮れる親が何人いただろう。
100人の子を育てるのにそなたは何人の子をさらってきたのか。
何人いようと子は子。
そなたが人間の子を子と見ず自分の身勝手でどうとして良いものか?
親としての思いは人間であろうと鬼であろうと同じこと。
心から悲しみ、我が身を引き裂かれる思いがわかったか?
人間の親とて同じこと。
その悲しみをどこにぶつけてよいものか分からず、途方に暮れる思いや悲しみを誰が背負うのか。これでよく分かったであろう。」
鬼女は答えます。
「良く良くわかりました。
私はとんでもないことをしていました。
この償いは今まで自分がやってきたことと引き換えに我が身を捧げて参ります。
なので、どうか私の子を返してください。」
菩薩様は言いました。
「では、良く聞くがよい。
これからは人間の子も我が子と同じように慈しみなさい。
この世に生まれることが困難な子もあろう。
災難で命を落とす子もいよう。
親の勝手で生まれてこれない子もいる。
これら全ての子を愛すと誓えるか?」
鬼女は答えます。
「是非そうします。
全ての子は我が子。
全ての子の命は我が子の命。
全ての子の魂は私が身を呈し、我が命に変えてもお守り致します。」
菩薩様は言います。
「そなたの言葉、心からの言葉として受け取った。ではそなたの子を変えそう。
途中で心変わりなぞしたら、そなたの子を全て我が隠し二度と会えない目に合うこと、しかと心に刻むがよい。」
鬼女は迷います。
その迷いを菩薩様が見逃すはずがありません。
そこで菩薩様は急に神々しい光を鬼女に浴びせました。
その瞬間に見た光景は、自分の子供が菩薩様の発した光により次々と消えていく様でした。
鬼女は慌てて自分の家に帰ると、そこにいた98人の子供がいなくなっていて、一人残っていた子供も我が手に抱いた瞬間に消えたのです。
鬼女は気も狂わんばかりに泣き叫び、菩薩様の元に走りました。
生きる気力も菩薩様を責める力も無く、ただ放心状態で菩薩様の前で泣き崩れます。
そして、菩薩様と目が合った瞬間に、最後の一人の子も菩薩様の腕の中から消えました。
鬼女はショックと共に目の前が真っ白になり立ち尽くします。
それを黙って見ていた菩薩様。
どれだけの長い時間が過ぎたでしょう。
鬼女が岩のように動かなくなり心まで凍りつきました。
すると、突然殻が割れたように今度は鬼女が光り輝き出します。
そして、鬼の形相だった顔は聖母のような微笑みに変わり、血に塗れた手は白い優しい手に変わり、鬼女の姿はそこにありません。
鬼女は言います。
「愛とは何か知りました。
慈しむとはどんなことかわかりました。
心を入れ替えるとはとても難しく、また命の尊さも知りました。
魂とはどんなに大切かわかりました。
命を粗末にしました。
そのための犠牲になった魂がどこに行くかも知りました。
私はなんてことをしていたのでしょう。
取り返しがつきません。
菩薩様。私はどうしたらよいですか?
どう償えばよいですか?
我が子の犠牲になった人間の子の魂を闇から救うことは出来ますか?
消えた我が子の命は今どこにありますか?
教えてください。
どうかお願いします。」
菩薩様は答えます。
「今のそなたの姿をしかと見るが良い。」
そこには一枚の鏡がありました。
その鏡に写っていたのは知らない存在です。
見ていると、とても清々しく気持ちが穏やかになります。
鬼女は言います。
「これは誰ですか?」
菩薩像は答えます。
「それが今のそなたの姿。何が見える?」
鬼女は答えます。
「これが私?違います。こんなに清々しい訳がありません。」
菩薩様は言います。
「信じられないならそれも良かろう。自らが犯した罪を償いたければ、そなたが見た闇の世界に行ってみるが良い。」
そう言って菩薩様はいなくなり、目の前が一瞬で闇になりました。
そこにある光景は、暗く重い光一筋も指すことのない闇の世界。
鬼女はだんだん悲しくなりました。
そして涙しました。
そしてひざまづいた時、手にした感触が心を揺さぶりました。
それは懐かしく尊い感じ。
まるで我が子を抱いたような安らぎでした。
シャボン玉のような触れるとすぐに壊れてしまう貴重なものを優しく慈しむように手にしました。
すると、その玉はゆっくりと、虹を含む輝きの中から人間の子供をへと変わったのです。
そして鬼女に笑顔を向けると白い帯になり天に昇っていきました。
鬼女は、またひとつまたひとつと虹色の玉を手に取り、その都度、温かい感触から子供へと変化し天に昇る様を見て、無心で玉を拾い始めました。
最後のひとつの玉の行く末を見届けた時、心の闇が無くなる感じがしました。
その時、胸に手を当てると、そこには目の前で消えた我が子を抱いていました。
その時に止めどなく涙が溢れ出てきました。
我が子に対しての愛と手元に戻ってきた喜びに感謝した涙でした。
すると、闇だった世界に光が差し込み、目の前には消えた我が子達がいました。
そこに菩薩様が現れ、こう言いました。
「そなたに言う。
これからは人間の子も我が子と同じように慈しめるか?この世に生まれることが困難な子もあろう。災難で命を落とす子もいよう。親の勝手で生まれてこれない子もいる。
これら全ての子を愛すと誓えるか?」
鬼女は言います。
「はい。慈しみ愛し感謝致します。
我が子の命の大切がわかりました。
全ての子の魂の尊さがわかりました。
自分の身勝手さを身に染みました。
子を失った親の悲しみと怒りがわかりました。
それらの思い、我が心で癒します。」
そう言い終えると、菩薩様は消え、そこには神として生まれ変わった『鬼子母神』がいました。
これが琴の知っている『鬼子母神』のお話✨
人の心はすぐには変えられない。
だけど、辛さ苦しさから学ぶものもあるということを鬼子母神から教えていただきました✨
このお話は、鬼子母神から教えてもらったお話です😊
鬼から神になったお話でした✨